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  • 青木敏朗

何のために進学校に行くのか

更新日:2022年1月17日

 今日は11月18日。残すところ、共通テストまであと2ヶ月、国公立の前期2次試験まで3ヶ月弱しかありません。


 この時期になると、毎年のように嫌でも考え込んでしまうことがあります。それは、なぜ、私の住む地域のトップ公立進学校の生徒たちは、将来に備え、早い段階からきちんと大学入試に備えて勉強をしないんだろうということです。


 下の資料は、上記進学校の現高3生のこの2学期の数学の成績資料の一部なのですが、これを見ると、私は本当にガッカリしてしまいます。


【2学期中間テスト・数Ⅲ平均点】普通科:15.8  理数科:32.5  全体:20.9


【現高3生・全統模試学力推移(数学 / 200点満点)】

(第2回全統高1模試)      校内平均:100.3  全国平均:81.8

 (第2回全統記述模試・高3理系) 校内平均:58.4   全国平均:71.4


 全統の成績推移を見ると分かるのですが、彼らは決して能力がないわけではありません。それが証拠に、高校に入学してしばらくの間は全国平均をかなり上回る学力を備えています。ところが、それから2年も経つと、全国平均にすら届かぬレベルに大幅に学力が低下してしまうのです。教育関係の仕事に携わる者の常識からしたら、平均点が全国平均にすら届かぬ学校は、もはや「進学校」という名では呼ぶことは出来ません。


 一体、なぜこんなことが起こるのでしょう。子供達、先生方の双方について、そもそも進学校とは、どういう学校かという認識自体が間違っているのではないかと、私には思えてきます。私自身の学生時代の経験や、40年以上に渡る教師経験からすると、進学校の生徒の本分は、勿論、勉強です。進学校の教科書の内容を十分に理解し、将来、国公立大学、特に難関大学に合格するためには、高1の段階から少なくとも毎日5、6時間の勉強は必要ですし、日曜日に10時間以上の勉強をするというのも決して特別なことではありません。一日に1時間や2時間の勉強時間で、どうやって高校の学習内容を十分に習得できるというのでしょうか。一部の天才を除いて、そんなことは不可能だと思います。


 1990年代初頭、200万人ほどいた18歳人口は、今や半分の100万人程度しかいません。昔に比べ、はるかに大学には入りやすくなりましたが、それでも一定レベル以上の大学に入ろうと思うと、当然、それなりの学力がないと合格することはできません。それ以上に考えねばならないのは、技術が急速に向上し続けている今、将来、高い収入が期待される職業に就こうと思うのなら、昔以上にしっかり勉強する必要があるということです。おまけに、今やライバルは国内だけにとどまりません。


 若者たちの間で、よく希望に見合う仕事がないということが言われているようですが、実は仕事はいくらでもあるのです。しかし、その仕事に必要なスキルや専門知識を持つ人材が圧倒的に足らないのです。つまり、雇用の現場で極端なミスマッチが起きているというのが実情なのです。 


 最近、つくづく実感するのですが、今、世界は歴史的転換点を迎えようとしています。技術は圧倒的なスピードで進歩し、10年もすれば世の中はSF顔負けの高度技術社会に変貌するだろうと言われています。その頃になれば、社会のあらゆる現場でAIが大活躍しているでしょうが、それを個々の現場にどういう形で導入するかについて考え、決断を下すのは、勿論、人間です。そして、新たな文明の形を構想し、それを望むべき方向に引っ張っていくのも、また人間なのです。


 次代に求められているのは、歴史的、工学的、文明論的な観点から物を考え、高度な専門知識を有し、周囲の人々としっかりコミュニケーションを取ることの出来るような人材だと思います。そして、そういう人材を目指すには、まずは高校レベルの勉強をきちんと習得し、更に大学で高度な専門知識を身に付けると共に、若いうちから様々な分野の本を読んで知識を積み重ね、十分な思考力を身に付ける必要があります。


 長年、教育現場で多くの子供達を見てきて、この小さな地方都市の松阪にも高い潜在的能力を持った地頭の良い若者は沢山いると感じています。しかし、「玉磨かざれば光なし」のたとえの如く、若いときにしっかり鍛錬しなければ、その能力も開花することないまま、結局は埋もれてしまいます。もし、大切な自分の未来を守りたいと思うなら、どんなに大変であっても、必死で勉強しなければなりません。

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