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​成績向上の例

 青木塾は、その創立以来、地域を代表するような数多くの優秀な生徒たちを社会に送り出してきましたが、彼らがそこに至るまでの個々の道程は、必ずしも順風満帆なものばかりだったわけではありません。様々な挫折や失敗もあっただろうし、時には茫然自失の思いでその場に立ちすくんだり、あるいは自信を失いかけた時もあったであろうことは容易に想像できます。しかし、それでも決して諦めることなく戦い続けて来たからこそ、その後の栄光があったのだと確信致しております。そんな彼らの成長に、この青木塾が多少なりとも貢献出来たとしたなら、これほど教師冥利に尽きることはありません。

 ここでは青木塾で格段の成長を遂げた、あるいは極めて大きな成果を上げた卒業生の何人かについて、その努力と成長の軌跡の一端を皆さんに紹介させていただきたいと思います。なお、ここに登場した卒業生達は、これまでに私どもの塾を巣立っていった多くの素晴らしい卒業生達のほんの一部でしかありません。もっともっと沢山紹介したいのですが、時間の制約等の関係で一度に全てを紹介することは容易なことではありません。今後も少しずつ掲載分を増やしていきたいと思いますが、それまで是非とも、お時間を戴けますようお願い申し上げます。

(注)個人情報の取り扱いについて

 当塾では、これから入塾をお考えになっていらっしゃる皆さんに対し、私どもが提供できる授業水準や期待できる教育効果について、単なるセールストークに留まらない、出来るだけ客観的なデータを提供するために、人物の特定が出来ないように十分な配慮を行った上で、過去の塾生達の成績データの公開を行っております。

 恐らく卒業生たちも、あるいは現在、当塾で学んでいる塾生達も、何らかの形で過去にこういった成績データに触れ、それを入塾の際の有力な判断材料としてご利用されたものと推察致します。

 時期の経過と共にどれほど個々の生徒が成長したのかを明らかにするためには、時間の間隔をおいた複数のデータを提示する必要がありますが、その際、複数のデータが同一人物のものであることを保証するために名前の一部を残してあります。

 このような形における成績データの公開については、塾の設立以来、数十年に渡って継続して行って来たものであり、現在及び過去の塾生達にとっては公然の了解事項ではありますが、今後、入塾を希望される皆様については、将来、このような形で個人の成績データが公開されることがあるということを、十分にご理解戴きたく存じます。

偏差値20台から全国トップへ

 T君が初めて青木塾にやってきたのは、三重中2年生の最後の頃でした。

 

 今でもハッキリ覚えていますが、当時、彼は学校の勉強に全くついていけず、すっかり自信をなくしてしまっていました。そのため、面接の際にも、顔を上げて私の方を見ることさえ出来ず、「先生にしっかりついていこうね」というお母さんの言葉に、ただ頷くだけという状態でした。

  

 入塾時の成績はというと、まさにドン底と言っても良いくらいで、資料にあるように入塾直後の春休み後の宿題テストでは、英数国理総合の学年偏差値は26.1、学年順位も119人中117番という、ほとんど最下位に近い状態でした。

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 このように前途多難なスタートではありましたが、入塾後、彼は遠方からの通塾にも拘わらず、雨の日も風の日も、それこそ一日も休むことなく熱心に授業を受け続けました。

 

​ 何年か前に「ビリギャル」という映画が世間の脚光を集めたことがありますが、T君の入塾から丸2年後に起きた出来事は、その映画さえも霞んでしまうほどインパクトを持った大事件となりました。何とT君、高1最後の全統記述模試の英数総合で101.8とういう圧倒的に高い全国偏差値を取り、全国トップに躍り出たのです。英語のみに限ると、その全国偏差値は107.4で、単純に中3初めの4教科の偏差値と比べると80以上もアップしていることになります。

 

 私どもの塾では、全国偏差値が30ポイント以上アップすることは珍しくありませんが、これほどの偏差値のアップは過去に例がありませんし、今日に至るまで彼の記録を上回る生徒は現れていません。恐らくこれほどの学力アップは全国でも希有なのではないでしょうか。(※ひょっとすると全国で唯一のケースかも知れません。)

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 その後、T君は更に2年間、青木塾で学び続け、現役で医学部に合格し、現在、大都市にある病院で救急救命医として大活躍しています。

 彼との出会いは、長年、教師を務める私にも多大な影響を与えました。一体、どういうことかと申しますと、子供の持つ潜在的な可能性は、最初に出会った時点での成績だけでは全く分からないということです。たとえ今は成績が悪くても、何年か後には、T君のように全国トップクラスの成績を取ることだって十分にあり得るということを、私は彼から学んだのです。

​ ある時、彼は私に「青木塾に出会っていなければ、今の僕はなかった」と語ってくれましたが、その言葉は私にとって最大の栄誉だと思っています。

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※本人の写真ではありません。

数学10点から学年トップへ

 Mさんが青木塾に入塾したのは、彼女が三重中を卒業し、三重高へ入学するのとほぼ同時期のことでした。

 

 下の成績資料は、高校入学当初に行われた宿題テストの結果です。数学の点数は100点満点中わずか10点。これでは、将来、国公立大学に進むどころか、大学進学すら危ぶまれるような低い成績でした。

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 ところが、青木塾入塾後、それまでとは打って変わり、中学生と高校生向けの3つのクラスの授業を受講し、1から勉強をやり直し始めたのです。

 その効果は、時間の経過と共に劇的な形で表れてきました。何と入塾して3年目の高3の1学期におこなわれた期末テストでは、2つある数学のテストの一方で97点を取り、いきなり文系で学年トップになったのです。

​ その後も3つのクラスを受講して基礎を徹底して固めるという彼女の学習スタイルは入試の直前まで続き、卒業時には地元の国立大学・三重大学教育学部に現役で合格を果たしました。

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 これだけでもかなり凄いことですが、大学2年生(20019年7月現在)になった今、何と彼女は「数Ⅲを学びたい」と言って、高3理系クラス医所属して一生懸命数Ⅲの入試問題演習に取り組んでいます。

​ 世の中には数学が苦手な人は多いですが、彼女のように諦めずに努力を続ければ、たとえ難しい数学であっても、きっと克服することができるに違いありません。

数学9点から高3全統偏差値68.7へ

 Yさんが青木塾に入塾したのは、三重中を卒業し、三重高に入学するのと同時期のことでした。下の資料は、彼女が高校に入学して最初に行われた高1の前期中間テスト(当時は前期後期制でした。)の結果ですが、ご覧になればすぐにお分かりのように、100点満点中わずか9点という極めて低い点数でした。 

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 当時、彼女からは全く覇気が感じられず、塾には通っているものの、授業に身が入らない様子で、半ばあきらめているように見えました。そこで、たびたび彼女を別室に呼び、あきらめや自己否定からは何も生まれないこと、何人もの塾の先輩が最下位近くの成績からトップ陣へと大躍進した実例があることなど、さまざまなエピソードを交えながら、自分を信じることや努力の大切さを、何度も繰り返し彼女につたえました。

 入塾してどれほど経った頃かハッキリ覚えていませんが、しばらくすると、彼女の目に少しずつ精気がよみがえり始め、高2になる頃には自分から進んで下級生の授業にも出席するようになりました。その後、彼女の成績に驚くほどの変化が起きました。

 下の資料は、夏休み後に行われた高2の第2回実力テストの数学B(文系)の結果ですが、何と入塾当初の点数の10倍にあたる90点を取り、文系で学年3番になったのです。この経験は、恐らく彼女の人生にとって極めて重要な意味を持つ転換点になったと思われます。

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 その後、彼女は更に熱心に勉強に取り組むようになり、高3の後半に行われた最後の全統記述模試(第3回)では、200点満点中141点を取り、全国偏差値68.7をとるまでに成長を遂げました。

 そして、高校卒業時には、第1志望の三重県立看護大学に、無事、現役合格を果たし、現在は看護師として医療の場で活躍しているそうです。Yさん、本当に良かったね。

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3桁の学年順位から国立大学医学部へ

 R君が青木塾に入塾したのは、彼の津高入学と同時期のことでした。入学時の彼の学力は決してトップレベルではなく、むしろ平均的なものであったと言えます。

 下の資料は、彼が高1の7月に受けた高校入学と初めての模試である進研模試の結果です。ご覧のように数学の学年順位が358人中94番、英語については更に悪く学年順位234番、3科目総合でも200番台というものでした。​

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 入塾当初、特に英語が苦手だったこともあり、最初の1年は英語のみを受講しました。入塾して1年後には、英語の学力が学年順位で200番近く上がり、40番ほどにまで伸びたこともなり、2年目以降は英語に代わり、数学の授業を受講し始めました。

​ 下の資料は高2の10月に行われた駿台全国模試の結果ですが、英語の学年順位が43番、数学に至っては何と学年3番の好成績をおさめました。

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 その後、彼は更に1年以上に渡って青木塾で難関の理系数学を学び続け、高3最後の第3回全統記述模試において、とうとう津高トップになりました。

​ 卒業時には神戸大学工学部に現役合格を果たしましたが、せっかく数学が1番の得意科目になったわけですから、そのまま神戸大学に進学するのがもったいなかったため、彼はもう1年受験勉強を続けるという決断を下さい、翌年、無事に三重大学医学部医学科に合格を果たしました。R君、良かったね。

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広大実戦模試の数学で受験者中トップに

 今春、松阪高校理数科を卒業したF 君は、久保中入学と同時に青木塾に入塾しました。中学、高校と合わせて6年間に渡って青木塾で学んで来た彼ですが、決して最初から順風満帆でやって来たわけではありません。

 

 下の資料は、中学3年の12月に塾での進路指導の際に使った校内実力テストの結果ですが、ご覧のように高校生になってから一層大切になる数学と英語が共に70 点台で、これでは高校に入ってから学校の授業についていけるかどうか、かなり微妙な学力であったと言わざるを得ませんでした。幸いにも、定期テストの結果が良かったこともあって、前期入試で理数科に合格することができましたが、俊英たちが沢山集う理数科では相当苦戦することも覚悟せねばならない状況であったと思われます。

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 彼は松高入学後、私が記憶する限り1日も休むことなく塾に通い、英語と数学を学び続けて来ましたが、そんな努力の甲斐あって、下の資料にあるように、高2の8月に行われた第2回全統高2模試において、英語が318人中16 番、数学が5 番へと、理数科の中でもトップレベルの成績をおさめるまでに成長しました。

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 下の資料は、本番の入試を数ヶ月後に控えた高3の10月に行われた駿台の「広島大入試実戦模試」の結果ですが、なんと数学において83.6 という圧倒的な全国偏差値を獲得し、広島大学志望者の中でダントツのトップになりました。英語の全国偏差値も65.6 で、母集団が広島大学の志望者ばかりであることを考えると、松高の中での校内偏差値よりもはるかに高い学力を達成していると言えます。また、余りにも数学の学力が高いため、その下の成績集計コースにあるように、複数の受験型のいずれにおいてもトップという素晴らしい成績をおさめています。

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 その後、彼は余裕で広島大学に現役合格を果たしましたが、中学卒業が近い頃の成績のことを考えると、信じられないほどの成果だと言えます。

中1で最下位から高3で学年トップに

 C さんが青木塾に入塾したのは三重中入学と同時期のことでした。下のテストは中1の11月に行われた「中1ハイレベル」というテストの結果ですが、青木塾で半年近く学び続けたこの時点でさえ、彼女の数学の学力はなかなか向上せず、学年順位は121人中121番の名実ともに最下位の成績でした。

 

 彼女は小学校時代から算数が苦手で、三重中に入ってからも2年生になる頃までは、なかなか学校の授業にもついていけないような状態が続いていました。算数や数学が苦手な子は、授業をやっても初めから分からないと決めつけ、真剣に先生の話を聞こうとしないことも多いのですが、真面目な彼女は授業中の取り組みも真剣で、小テストをした時に再試になっても、必ず合格するまで最後まできちっとやり切るような子でした。

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 遅々とした歩みではありましたが、成果は徐々に現れ始め、中3の時に行われた同じ実力テストでは、学年順位が116 人中28 番(当時はトップ35 が、まだなかった時代ですので、この成績はかなり上位の成績だと言えます。)となり、もはや彼女にとって数学は苦手科目であるどころか、最も自信の持てる教科となっていたのです。

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 ところが、彼女の成長はそこでは留まらず、高校生になってからも着実に成績は向上し続けました。下の資料は、彼女が高3になってから行われた前期中間テスト(※当時は前期後期制でした)の成績個票ですが、数学(センタ-)で満点を取り学年トップになりました。更には秋に行われた第3回統一テストにおいても同じく数学で満点を取り、三重高全体で堂々のトップになったのです。

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 その後、彼女は卒業時に京都府立医科大学に現役合格を果たし、大学ではで看護学を学び、卒業後、東京の大病院で看護師を務めていましたが、結婚を機会に退職し、現在は保育園で看護師として働くかたわら、一児のお母さんとして子育てにも一生懸命頑張っているそうです。
 

 世の中には算数嫌いや数学嫌いの子が沢山いますが、あきらめずに我慢してきちっと勉強を続ければ、たとえ時間はかかったとしても、いずれは得意になれるんだということを忘れないで下さいね。もっとも、これは算数や数学に限らず、どんな教科についても言えることです。

50台の偏差値から80.0へ

 数学が苦手な中学生・高校生は多いですが、S 君も高校入学時は決して数学が得意な方ではありませんでした。高校入学後、初めて受けた模試である高1(7月)の進研模試では、得点が100 点満点中50 点、全国偏差値こそ56.2 ですが、校内偏差値は50.9 で、言ってみれば、松高ではごくごく普通の学力であったと言えます。

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 ところが、その後の彼の学力の変化をご覧下さい。真ん中(右)の資料にあるように、1年7月から2年7月までの1年間、模試の度にどんどん学力がアップし、最初の模試からちょうど1年後にあたる高2の7月の進研模試では、100 点満点中75 点を取り、全国偏差値77.8 という驚異の学力を達成しました。校内順位も312 人中4番となり、普通科の生徒でありながら、S 君は理数科の大半の生徒たちの学力をも上回る成績を取るまでに成長したのです。

 

 皆さんもよくご存じのように、普通科と理数科の学力差には、かなりのものがあります。理数科の生徒は、そのほぼ7割が国公立大学に進学しますが、普通科では一握りの生徒しか国公立大学に進めません。それほどの差があるにも拘わらず、彼らを凌駕する成績をおさめたのですから、これはもう大変なことです。

 

 実は、私自身は理数科の生徒も普通科の生徒も、潜在的な能力には何ら違いはないと考えています。しかし、高校入学の時点における学習量の違いが、その後の学力の伸びに大きな影響を与えていると思われます。
 

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 もし、きちんとした指導を受け、一生懸命努力すれば、普通科の生徒であっても、理数科の生徒に劣らぬ成果を発揮できるはずです。唯一の問題は、それが可能だと皆さん自身が信じているかどうかです。


 さて、その後、S 君の学力は益々向上し、1年後の同じく7月の進研模試では、とうとう全国偏差値80.0 という大変な成績を叩き出し、卒業時には得意な数学を十二分に活かして、第1志望の埼玉大学経済学部に、無事、合格を果たしました。
 
 青木塾では、こういった劇的な学力向上の例も決して珍しくありません。あなたにも、きっとそんな素晴らしい潜在能力が備わっているはずです。「私には出来ない」と、あきらめるには早すぎますよ。

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最下位近くからトップへ大躍進

 Y 君が青木塾に入塾したのは、中3の終わりの頃でした。左の資料は、彼が入塾してしばらく経った頃に行われた高1のスタディサポートの結果です。ご覧のように英語の学習到達ゾーンはC3、数学はC2 という極めて低い成績で、学年順位も英語が134 人中118 番、数学が122 番、これでは到底、将来、国公立大学に進学することなど望めないどころか、F ランクの大学に進むことになっても決しておかしくないような状態でした。

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 では、次の資料をご覧下さい。これは彼が高3になってすぐの頃に受けたベネッセのスタデイ・サポートの成績資料ですが、なんと数学はC2 からS3 まで8段階、英語についてはC3 からA2 まで7段階の学力アップを遂げているのです。


 なぜ、こんなにも大幅な学力アップが可能だったのでしょうか。それには、入塾当初の彼の気持ちに大きな理由があります。
 塾にやって来たばかりの頃、彼の成績は余りもに悪く、何とかしたいと、それこそ藁にもすがりたいような気持ちだったのです。ですから、私のアドバイスも素直に受け入れ、言われたことは何でもそのままやってみようとする謙虚な姿勢が見られました。
 

 「下級生の授業にも出た方が良いよ」と私が言うと、すぐにそのように生活スタイルを改め、「問題集は何度も何度も徹底して繰り返すことが大切だよ」というと、真面目にそれに取り組みました。彼の劇的な学力の向上は、実はそういった積み重ねの結果なのです。


 なまじっか成績が良い生徒は、人の助言を素直に受け入れようとはしません。どんなに役に立つことを言っても、自己流のやり方を改めようとはせず、結果的に大きな学力向上を達成することが出来ないまま終わってしまうことが多いのです。
 

 人が成長するためには、素直に人の助言を取り入れようとする柔軟な姿勢が何より大切です。もし、あなたが本当に大きく成長したいのなら、どうぞ素直に先生の言葉に耳を傾けて下さい。それが出来れば、あなたの人生は激変するだろうと思います。
 

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 ちなみにY君は、あれほど苦手だった数学で、高3の1学期にとうとう文系トップになり、卒業時にはめでたく第1志望の国立大学に現役合格を果たしました。(下の成績資料参照)

 もし、彼の3年数ヶ月に及ぶ真剣な取り組みがなかったら、その後の彼の人生は相当異なったものになっていただろうと思います。
しかも、その人生は彼にとって決して望ましいものではなかったかも知れません。
 

 若いときのちょっとした心がけの違いが、人の人生を大きく変えてしまうということを忘れないで下さいね。

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200番台近い順位から高3で理系トップに

 殿町中学出身のY 君は、松高普通科入学と同時に青木塾に入塾しました。ご覧のように松高入学時のスタディサポートにおける数学の正解率は63 パーセント、学力到達ゾーンはA3 ですから、これから推測すると学年順位は100 番台の後半(おそらく200 番に近い)であったと思われます。一般的に言えば、松高でこの学年順位では、国立大学に進むことさえ難しく、理系の難関大学への合格など到底考えられません。

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 ところが青木塾入塾後、彼は1日も休むことなく真面目に授業を受け続け、早くも高1の1月には、2つ目の資料にあるように学年で5番の成績にまで学力が急伸しました。
 
 それでもまだその上に、おそらく理数科の生徒の皆さんだと思われますが、4名もの優秀な生徒がその行く手を遮っていました。
 
 この時の彼の校内偏差値を見ると77.1 に達していますが、更にそれよりも高い点数を取っている生徒が何人もいたのですから、当時の上位の生徒達の優秀さが際立っていたのが分かります。

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 それから更に1年数ヶ月後の高3の10月に行われたベネッセ・駿台記述模試の結果をご覧下さい。何と理数科の優秀なライバル達を押さえ、普通科のY 君が理系で堂々のトップになったのです。
 
 皆さんもよくご存じだと思いますが、一般に普通科と理数科の学力には大きな差があると考えられています。にも拘わらず、普通科のY 君が難しい理系数学でトップになったのです。
 

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 その後、彼は卒業時に得意の数学力をフルに発揮して名古屋大学理学部に現役合格を果たしました。普通科からは一握りの生徒しか国公立大学に進めないのに、難関大学の、しかも理系学部への現役合格ですから、これは大変なことだと言えます。


 もし、今、あなたが数学が苦手だったとしても、青木塾で真面目に授業を受け、苦手分野を一つ一つ克服していけば、3年生になってから学年トップも決して夢ではありません。青木塾なら、それが可能です。

苦手な数学が大の得意科目に

 S さんは、松高入学と同時に青木塾に入塾しました。所属は理数科ですが、入塾時は、どちらかというと文系科目の方が得意で、数学については必ずしも得意であるとは言えない状態でした。
 
 下の資料は、彼女が高校入学後、初めて受けた進研模試(7月)の結果ですが、数学の校内偏差値は53.2 ですから、松高生としてはごく普通の学力だったと言えます。
 

 英語については、学年順位が2 割以内に入っていますから、決して不得意ではありませんでした。

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 さて、では次の資料をご覧下さい。これは、上の模試から1年4ヶ月後に行われた、同じく進研模試の結果です。英語はやや順位が後退してはいますが、これくらいの変化は誤差の範囲だと思います。ところが数学の結果をご覧下さい。その学年順位は2桁上位の22 番に達し、校内偏差値も当初より10 ポイント以上向上して67.5 に達しています。

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 更に、それからおよそ半年後の3年生の4月に行われた校内実力テストの結果をご覧下さい。数学文系については校内順位が5 番、英語については学年平均が38.8 のところ91 点も取り、学年順位2番、校内偏差値についてはダントツの80.0 を獲得しています。これは1000 人中1人の好成績で、かなり高い英語力を身に付けていると言えます。

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 それでは最後の高3の第一回全統記述模試の結果をご覧下さい。数学については、文系でとうとう学年2番になり、校内偏差値も
80 にあと一息の77.0 にまで迫っています。今回、英語はやや不調でしたが、それでも校内偏差値は61.3 ですから、松高ではかな
り上位の成績だと思います。

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 そして、卒業時の2018 年春、彼女は三重大学人文学部に、無事、現役合格を果たしました。彼女の成績からすると、恐らく余裕で合格したと思われます。

算数嫌いの少年が伊勢高で数学トップ

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 S君は、松阪市内の公立小学校を卒業し、市内の公立中学に入学と同時に青木塾に入塾しました。小学校時代は勉強が苦手で、分数や小数さえ十分に理解出来ていませんでした。

 下の資料は、入塾時に行われた基礎学力テストの結果ですが、ご覧のようにほとんど正解がない状態でした。

​(注)写真は、当人のものではありません。

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 ところが、青木塾に入塾後、学年が上がるにつれ、どんどん学力が伸び始め、中学3年生の終わりになる頃には、下の模擬テストの結果にあるように、学年の上位に進出するようになりました。

 その後、彼は伊勢高に合格し、晴れて進学校の生徒になりました。当時、子供時代から彼のことを知る近所のお母さん方の間では、S君が伊勢高に合格した解くことが随分と話題になったそうです。


 ただ、いくら伊勢高に合格したからといっても、伊勢市で1番の進学校ですから、高校の勉強はなかなか大変だったようです。

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 そんなある日、塾に現れたS君は私の顔を見るなり、「今日、学校の先生に『お前は、高校では伸びない』と言われた」と、しょんぼりした様子で話しました。その言葉を聞いて、とっさに私は「そんなことを言う教師は大馬鹿者だ。今まで通り、分からないところがあったらどんどん質問し、しっかり繰り返して勉強すれば、きっと高校の勉強だって得意になるから心配するな」と、彼に檄を飛ばしました。

 

 その後、彼は今まで以上に熱心に勉強をやり始め、なんと高3最後の実力テストで、下の資料にあるように数学で81.2という破格の校内偏差値を獲得し、学年トップになりました。

 

 その後、彼は有名私大を卒業し、経営コンサルタントになったと聴きましたが、今頃、どうしているかな。 

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 最近の若者は少しでも困難に直面すると、すぐに諦めてしまうのが普通です。しかし、彼は困難に直面しても決して諦めることなく、最後まで粘り強く徹底的に物事をやり切りました。だからこそ、小学生時代に落ちこぼれていたにも拘わらず、伊勢市で1番の進学校を数学トップで卒業することが出来たのだと思います。

​ 彼のことを思い出すと、人間の潜在能力が開花するかどうかは、結局のところ、自分自身を信じ、最後までやり続けることが出来るかどうか、全てはそれに掛かっていると思います。

苦手な数学を克服し、一橋大現役合格

 Cさんが青木塾に入塾したのは、彼女が三重高6年制の高2の時でした。入塾のきっかけは、当時、青木塾に通っていた三重高特進クラスの2人の生徒が、高2の11月に行われた進研模試においてトップと2番を独占したのを耳にしたことでした。(注:その頃は、6年制と特進は一緒に成績が評価されていました。)

 入塾時、彼女は文系科目については、かなり高い基礎学力を身に付けていましたが、どちらかというと数学が比較的苦手でした。(とは言っても、一般的な尺度では、とても高い学力を備えていましたが..)

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※Cさんは入塾当初から高い基礎学力を備えていました。
【6年制に激震を引き起こした青木塾に所属の2人の特進クラス生の成績】
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 当時は、特進と6年制は一緒に成績の評価がされていましたが、高2の11月に行われたこの進研模試では、当塾の特進に通う2人の生徒がトップと2番を独占しました。この出来事は、6年制の生徒達に少なからぬ動揺をもたらし、何名もの生徒が大手塾を辞めて青木塾に移ってきました。

 上記の2人の特進の生徒のトップと2番がきっかけとなって高2の冬に青木塾に入塾したCさんは、その後、順調に成績を伸ばし、高3の第2回全統記述模試では、何と数学で全国平均を100点ほど上回る点数を取り、全国偏差値76.1を獲得しました。そして、とうとう数学(文系)で学年トップになったのです。

 卒業時には、当時、東大と並び称されるほどの難関大学と評価されていた一橋大学に現役合格を果たし、卒業後は外資金融機関で働き、グローバルな人材となりました。Cさん、元気にしているかな。

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【Cさんと同級生の他の6年制の生徒達の劇的成長】

 Cさんと同時期に入塾した三重高6年制の同級生が、Cさんがトップになった同じ全統模試の数学において、彼女に次ぐ学年2番となりました。他にも、大きく学力を伸ばした同級生が何人もいます。この出来事からもハッキリ分かるように、青木塾の卓越した指導力は他に例がありません。

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​三重中で学年86番から慶応大現役合格

 Aさんは、三重中入学と同時に青木塾に入塾したのですが、確か中1の途中だったと思いますが、一旦、塾を辞め、中3の後半頃になって、勉強が分からなくなったため、再度、入塾したという経歴を持っています。
 下の資料は、復帰して間もない頃の後期中間テストの成績ですが、ご覧のように学年順位は119人中86番、校内偏差値も43.6というもので、学校の勉強にさえついていけなくなっている状態が伺えました。

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 その後、彼女はそれまでとは打って変わって真面目に授業を受けるようになり、それに伴って徐々に成績も向上し始めました。下の資料は、高2前期に行われた全統模試の結果ですが、特進の生徒と6年制の生徒を合わせた全195名の中で44番となり、入塾当初に比べると、かなり成績が上がってきていることが見て取れます。

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 さて、最後の資料は、高3の時の全統記述模試の結果ですが、何とこの時点で彼女は文系でトップになり、その校内偏差値は72.5となり、中3の頃に比べ30ポイントほども向上しました。この時の全国偏差値は74.6で、全国的に見てもかなり上位の成績といえますが、その後、彼女は現役で慶應義塾大学商学部に合格を果たしました。

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​久保中で平均レベルから東京理科大現役合格

 A君が青木塾に入塾したのは、確か久保中3年生の途中でした。入塾当時、彼は基礎学力が十分ではなく、下の資料にあるように、中3の11月に行われた実力テストでは、数学の成績が248人中111番で、結局、高校は専願で三重高特進に進むことになりました。

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 高校入学時の彼の数学の成績は、下のスタディサポートにあるように三重高6年制と特進の生徒を合わせた約200人ほどの中で(当時は6年制と特進はいずれもCクラスとして、一緒に評価されていました。)学年順位が150番、校内偏差値は42.2というものでした。ところが、彼の大躍進はここから始まるのです。

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 高2になると、彼は下級生の授業にも出席するようになり、授業に対する熱意は大きく向上し始めました。高2の終わりになる頃には、特進クラスにおいて理系の数学Ⅱで学年一桁になるなど、その成果が徐々に現れ始めました。

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 最後の資料は、高3最後の全統記述模試の結果ですが、なんと彼は6年制の生徒達も含んだ理系志望者全63名の中で学年順位10番、全国偏差値についても62.0という成績を取るまでに成長したのです。
 理系数学はそれでなくとも難しいのですが、中学校の数学ですら怪しかった彼が、理系に進み三重高6年制の上位者に負けない学力を身に付けるようになったのですから、実はこれは大変なことなのです。
 その後、彼は東京理科大の経営学部に進学したのですが、4年間に渡る彼の成長ぶりを見ると、人間には本当に素晴らしい潜在能力があるものだと、つくづく感じます。
 今は勉強が苦手でも、努力次第で人間はとても大きく成長できると言うことを、若い人たちには、是非、知って欲しいですね。

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偏差値40台から高3でトップ、東北大現役合格

 M君が青木塾に入塾したのは、彼が三重高6年制1年の年末の頃でした。入塾当初の彼の数学の点数は、下の資料(進研模試・1月)あるように6年制の生徒と特進の生徒を合わせた合計214人の中で151番という成績で、このままでは到底、将来、国立大学への合格など望めないものでした。(注:当時は、6年制の生徒と特進の生徒が合わせて評価されていました。)

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 ところが、入塾して1年半ほど経った高3の7月に行われた同じく進研模試では、7割を超える得点を獲得し、全国偏差値も当初の54.7から69.5へと15ポイント近く上昇し、学年順位も文系で6番になりました。更に2学期の中間テストでは、数学Ⅱで99点を取り、学年トップになりました。

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 その後、M君は卒業まで青木塾で学び続けましたが、卒業時には東北大学法学部に現役合格を果たしました。最近、彼とFacebookを通じて連絡を取り合うようになったのですが、現在、東京の某大手法律事務所で弁護士として大活躍しています。

松商で全統全国偏差値80オーバー

 2009年度卒のS君が青木塾に入塾したのは、彼が松商2年の夏頃のことでした。当初は、青木塾が進学校の生徒しか対象としていないのではないかと思い、電話を掛けるのをかなり躊躇していたそうです。確かに青木塾に通う高校生は、ほとんど松高や伊勢高、津高、三重高、高田などの高校の生徒ばかりですが、かつては高校に行かずに東大に現役合格した塾生もおり、本人にやる気さえあれば決して一律に入塾の可否を決定しているわけではありません。そういうわけで、保護者同伴で来塾していただき、ご本人の気持ちを聞いてみることにしました。

 実際に会って話を聞いてみると、好青年でもあり、勉学に対し高い意欲があることが分かったため、喜んで入塾を受け入れることにしました。ただ、入塾時点では基礎に不安があったことと、商業の数学のカリキュラムが普通科のそれとはかなり異なり、また進度も遅かったため、すぐさま正規の学年の授業を受講するのが難しいと判断されたため、1学年下の高1のクラスで授業をスタートしてもらうことになりました。

 それから2年弱の短い期間でしたが、彼は実に一生懸命勉強に取り組んでくれました。年下の子たちと一緒のクラスで勉強することには幾らか抵抗もあったでしょうが、そんなことはおくびにも出さず、また、分からないところがあるとトコトン尋ねるその姿勢には、本当に好感が持てました。

 下にあるのは、それから1年数ヶ月後の高3の10月に行われた全統記述模試の結果ですが、何と彼は数学で200点満点中190点の高得点を取り、全国偏差値80.5、全国順位7万4843人中169番の好成績を獲得したのです。これは上位の6年制私立の高校生でさえ、ほとんど取れないような高い成績です。本当に立派な結果だと思います。

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 彼と一緒に勉強した2年弱の期間はあっという間に過ぎ、卒業時には第一志望の名古屋市立大学の経済学部に無事現役合格を果たしてくれました。勿論、それ自体はとても嬉しいことなのですが、もし、彼が私どもの塾に中学生の頃から通っていれば、少なくとも旧帝大レベルの大学には合格できたのではないかと思うと、なんだか少しもったいないような気がします。

 彼は卒業時に、これからの人生の目標について熱く語ってくれました。真面目で熱心な彼のことですから、今頃、随分大きく成長してくれていることでしょう。そんな彼の勇姿をいつか見ることが出来ればと、それが楽しみです。

​入学時の学年順位216番から全国順位50番へ 

 Y君は松高普通科に入学と同時に青木塾に入塾しました。入塾当時の彼の数学の成績は、高校生になって初めて受けた模試である下の進研模試(7月)にあるように、学年順位355人中216番で、到底、高校の勉強にはついて行けないレベルの成績でした。ところが、その後、彼は劇的な学力向上を遂げることになります。

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 まずは、ちょうど1年後の前期期末テストの結果をご覧下さい。数学理①では学年順位35番、数学理②では104番の成績を取るまでに学力が大きくアップしました。普通だと、これだけでも相当大きな学力の向上だと言えます。

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 ところが、それから更に1年後の高3最初の全統模試である第1回全統マーク模試において200点満点中177点を取り、全308人中4番の好成績を取るまでに成長しました。しかし、これで終わりではありません。その後も彼の学力は更に伸び続けたのです。

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 では、最後の資料をご覧下さい。これは高校生活最後に受けた全統記述模試である第3回全統記述模試ですが、なんと200点満点中188点を取り、全国偏差値89.6、全国順位50、校内順位1番、校内偏差値101.3という驚愕の成績を取ったのです。普通だったら、こんな成績アップはあり得ません。青木塾ならば、このような学力アップですら可能なのです。

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学年順位300番台から1桁、名古屋大合格へ

 Sさんが青木塾に入塾したのは、彼女が松高普通科2年生の6月のことでした。入塾前の彼女の数学の成績は、下の進研模試の結果にあるように、何と100点満点中と21点、学年順位307番という大変なものでした。この成績から察するところ、中学時代には既に数学が分からなくなっていたと思われます。

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 入塾直後は、それほど勉強に対する熱意は感じられませんでしたが、高2の途中から、まるで人が変わったように授業に真剣に向き合うようになり、下級生の授業にも積極的に参加するようになりました。その甲斐あってか、高2の終わり頃に行われた進研模試のセンター試験早期対策模試では、200点満点中128点も取り、学年順位も68番にまでなりました。

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 ところが彼女の成長はとどまることなく続き、高3の1学期期末テストでは文系153人中6番の成績を取り、更に高3後半に行われた第3回全統記述模試では、学年5番の好成績を取るまでになりました。

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 かつては数学が大の苦手だったSさんですが、本番の大学入試では、見事、第一志望の名古屋大学情報文化学部に合格しました。以下は、彼女の感想文です。

S.K.さん (松高普通科卒)
名古屋大学情報文化学部社会システム情報学科合格
「分からない部分は理解するまで徹底的に教えてくれる」

 私が青木塾に入ったのは、高2の6月頃でした。その時点の成績では、明らかに数学が足を引っ張っており、担任の先生にも、「数学を頑張らなければ、名古屋大学には受からない」と言われていました。志望校を変えようかと思っていた時、青木塾の評判を聞いて入塾しました。

 1年生の時の数学の成績は、模試では学年319人中307番という惨憺たるものでした。学校の授業を聞いても意味が分からず、問題集で解けるのは、本当に基本問題だけで、定期テストでも平均点を下回るのが普通でした。

 しかし、青木塾に入ってから徐々に成績が上がっていきました。3年生になると、模試や定期テストで、かつての自分では信じられないような点数を取り、本番のセンター試験で好成績を獲得することが出来ました。青木塾に入っていなければ、不可能だっただろうと心底思います。

 青木塾の良いところは、分からない部分は理解するまで徹底的に教えてくれる点です。私のように恥ずかしくて授業中には聞けなくても、後で質問すればしっかり教えてくれます。分かり易い説明で、私の些細な疑問にもちゃんと答えてくれました。

 もう1つ良い点を上げるとすれば、他の学年の授業を聴講という形で自由に受けられるところです。基礎が抜けていた私にとっては、これは非常に有り難いものでした。自分で勉強しただけでは理解しにくい部分も、授業を受けて解決することが多々ありました。公式の成り立ちや作り方を知ることが出来るのもためになりました。

 受験生活を終えて思うことは、散々言われていることですが、苦手科目の克服は早ければ早い程よいということです。正直に言うと、私が数学を真面目に勉強し始めたのは高2の夏休みも終わる頃でした。せめて入塾時に始めていれば、いやもっと言うと、高校入学時から青木塾に通って真剣に数学の勉強を始めていれば、と何度も後悔しました。数学を勉強せずに過ごした1年数ヶ月の遅れは簡単には取り戻せなかったからです。

 後輩の皆さんには、「どうせ分からない」と言って苦手科目から目をそらさずに、基礎の基礎から勉強すれば必ず理解できる時が来るということを知って欲しいです。そして青木塾ならば、それが可能だと思います。

東部中で普通の成績から松高トップへ

 Y君が青木塾に入塾したのは、彼が東部中学の2年生の時のことでした。きっかけは、Y君のお母さんから届いた一通のメールでした。そこには息子さんについて、「能力はないことはないと思うのだけど、学力が伸びなくて悩んでいる」との、親としての切実な思いが綴られており、早速、その週末に、本人とお母さんにお会いすることになりました。それが、Y君のドラマの始まりとなったのです。

 下の資料は、彼が青木塾に入塾した間もない頃の中2前期の通知表の結果です。これを見ると明らかなように、当時、音楽だけは5ですが、あとは全て3と4ばかりの、ごく普通の成績だったと言えます。

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 ところが次の資料をご覧下さい。これは彼が中3の時の第5回三進連(※当時、高校を目指す受験生にとってスタンダードな業者模試でした。)の結果ですが、赤い枠で囲んだ部分にあるT得点(偏差値)の変化をご覧頂くとお分かりになるように、中3の1年間で彼の学力が著しく伸びているのが分かります。特に、最後の5回目の得点は211点にも達していますが、三進連でこの得点を取れるということは、中学生としてはかなり高い学力を持っていると言えます。

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 しかし、それでも高校の勉強は甘くはありませんでした。下の資料は、彼が松高に入ってすぐの頃に行われたベネッセのスタディサポートの成績ですが、何と数学の学年順位は163番だったのです。これでは国公立の大学進学も危ぶまれる状況です。

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 ところが、その数ヶ月後に行われた進研模試の結果をご覧下さい。学年順位は105番になり50番以上も校内順位が上がっています。とは言え、これでは、まだまだ国公立大学に進学出来るような学力には達していません。

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 そして、それから更に1年後の前期期末試験(当時は、確か高2の9月頃に実施されていたと思います。)の結果をご覧下さい。何と数学①では、学年平均36.8点であるにも拘わらず満点を取り、学年トップは当然のことながら、学年偏差値に至っては80.0という極めて高い点数を獲得しています。なんと、偏差値80というのは、1000人中トップに相当するような成績なのです。更に、2科目総合でも学年順位2番という好成績をおさめています。

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 その後も彼は数学で常に学年上位を続け、卒業時には難関大学(確か名古屋大学か大阪大学のいずれかであったと記憶しています。)に現役合格を果たしました。

 

 後になって振り返ると、彼が中学2年生の時、お母さんから戴いた一通のメールが、その後の彼の人生を大きく変えたことになります。Y君、今頃どうしているかな。この記事が目に触れたら、また、近況を知らせて下さいね。

久保中で60点台の成績から松高でトップへ

 A君が青木塾に入塾したのは、彼の久保中入学と同時期のことでした。中学時代の彼の数学の成績は、下の中3の5月の時点の校内実力テストの資料にあるように、学年順位こそ良いものの点数は100点満点で66点に過ぎませんでした。これでは進学校で上位の成績をおさめるには到底十分とは言えぬ成績であったと言えます。(※それにしても、60点台の点数で学年順位が224番というのは異常です。久保中は私の母校でもありますが、真面目に勉強すれば素晴らしい人生が拓けるはずなのに、勉強することに意味がないと考えている中学生が沢山いるというのは、本当に残念でなりません。)

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 ところが下の高1の前期期末テストの結果をご覧下さい。高校受験時や高校入学後の頑張りもあって、何と学年順位8番の好成績を獲得したのです。

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 更に、その後に行われた第2回全統高2模試の数学総合でも、全国偏差値72.8、学年順位2番を取るほどにまで彼の学力は著しく伸びました。

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 彼は、その後も安定した数学力を発揮し、高3の11月に行われたベネッセ・駿台マーク模試では、数学1で満点を取り学年トップ、総合でも200点満点中190点を取り学年3番の好成績を獲得しました。

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 本番の入試でも、その数学力を武器に、無事、第一志望の愛知教育大に合格しました。以下は、そんなA君の感想文です。

A.K.君 (松高普通科卒)
愛知教育大学教育学部初等数学学科合格
「分からないことは理解出来るまで徹底して教えてもらえる」

 僕は、中学1年の時から高校3年まで、6年間ずっと青木塾に通っていました。当時は、単に家から近いからという理由で青木塾を選びましたが、この選択のお陰で今の僕があるのだと思います。

 中学の頃は、日曜日以外、毎日授業があって大変でしたが、これが後に勉強が習慣になるための土台になったのだと思います。とは、言っても、僕は「授業=勉強」と思い込んでいたため、ろくに復習もせず、ただ毎日の授業で行う確認テストをこなすだけでした。当然、高校受験が近づくにつれ、出題範囲も広くなる実力テスト等では、見る見る点数が落ち、成績が悪くなっていきました。

 そんなとき、あれは確か中3の夏休み前だったと思いますが、授業中、先生に呼び出され、「(僕の名前)、勉強はやっているのか? もう、受験生なんだから、毎日勉強せなあかんな。でも、勘違いするなよ。高校受験のために勉強するんじゃないんだぞ。自分の将来のためと思って、目一杯勉強しろよ。」と活を入れられました。そこから、僕の勉強に向かう姿勢が変わり始めた気がします。 

 夏休み中は、友達と夜遅くまで(塾が閉まる深夜12時までいたことも多々あります)、教室や自習室を使って勉強し、休み明けからも、学校が終わればすぐ塾に行き、遅くまで勉強し続けました。無事、第1志望の高校に進学してからも、少しペースは落ちたものの、ほぼ毎日(塾のない日も)塾に通い勉強をしました。

 青木塾には、他の塾や予備校には真似の出来ない素晴らしい要素がたくさんありますが、最も重要なことは、「分からないことは、理解できるまで徹底して教えてもらえる」ことが出来る点です。まず、授業中、分からない部分は、何度でも説明してもらえます。先生は、1問説明するごとに生徒一人一人に、「分かったか?」と尋ねてくれるため、中途半端に終えることがありません。また、公式なども暗記ではなく、根底から理解できるように説明してくれます。授業以外の時でも、いつでも質問が出来ることも、とても良かったと思います。

 どんな難易度の高い問題であろうと、生徒が理解できるまで、良い意味でしつこいくらい解説をしてくれます。実際、僕も同じ問題を5,6回質問することも少なくなかったですが、それでも先生は丁寧に教えてくれました。

 そして、先生の熱心な授業のお陰で、数学に大きな自信を持つようになり、センター試験で失敗してしまったにも関わらず、二次試験で挽回して、無事、第一志望の大学に合格することが出来ました。ちなみに、僕が数学の教員を目指すようになったのは、青木先生の影響でもあります。

 青木塾で学んだ6年間を土台に、大学でも学びの精神を忘れることなく真剣に勉強し、青木先生のような立派な指導者になれるように、一生懸命頑張りたいと思っています。先生、長い間、本当に有り難うございました。

下級生の復習からスタート、松高トップへ

 K君が青木塾に入塾したのは、殿中2年生になって間もない頃で、当初は彼は基礎学力が十分でなかったため、1学年下の中1クラスで勉強をスタートすることにしました。

 入塾後、しばらく経ち、慣れた頃からは中2の授業も併せて受講し始めましたが、そうやって1年近く徹底して基礎を養い続け、中3になるのと同時に正規の中3クラスで勉強を開始しました。

 下の成績は彼が中3になって間もない頃の校内実力テストの結果です。既に数学については94点を取り、かなり高い学力が付きつつありますが、英語については100点満点中63点しか取れておらず、まだまだ中学生として十分な基礎学力を身につけるまでには至っていません。更に、主要3科目の合計が227点、平均が76点弱で、少なくともこの段階では到底進学校でやって行けるような成績ではありませんでした。

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 ところが、入塾して2年近く経った頃に行われた下の第4回三進連の結果をご覧下さい。何と5科目総合で県下4951人中17番という素晴らしい成績をおさめるまでに成長しました。苦手だった英語も、既に中学生としては十分な学力を持つまでになっています。(※平成27年に会社が潰れてしまいましたが、三進連は当時の代表的な校外模試の1つです。)

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 次にご覧頂くのは、彼が松高に入学して最初に受けた模試である進研模試(高1の7月実施)の結果です。ご覧のように総合で学年順位3番の好成績をおさめています。とは言え、数学と英語については共に学年順位17番で、まだまだ課題ありというところでしょうか。

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 次にご覧頂くのは、それから2年後に行われた高3の7月に実施された同じく進研の総合学力記述模試の結果です。ご覧のように数学の学年トップ、英語の学年3番など、全ての教科でトップレベルの成績がずらりと並び、総合でも学年トップの成績をおさめる程の好成績を獲得しました。入塾当初、同学年の授業についていけず、下級生の学年の復習からスタートしたとは考えられないほどの大躍進です。

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 そして最後の資料です。下の資料はセンター試験の結果を示すセンター・リサーチの成績資料ですが、ご覧のように、松高でダントツとも言える807点という好成績を獲得しました。松高では700点に到達する生徒さえ、ほとんどいませんから、これは本当に素晴らしい成績です。 その後、彼は神戸大学理学部に現役合格を果たしました。

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学年順位117番から国立大学薬学部へ

 K君が青木塾に入塾したのは、高校入学と同時期のことでした。入塾して数ヶ月後に行われた前期中間テストでは、下の資料にあるように、数学Ⅰが学年順位133人中58番、数学Aに至っては117番という成績でした。これでは、将来、国立大学へ進学することはかなり難しかったと思われます。

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 ところが、それから入塾しておよそ一年半近く経って行われた高2の2学期期末テストでは、下の資料にあるように数学Bの学年順位が理系65人中7番、数学Ⅱにおいては何と65人中2番という好成績を獲得しました。そもそも高1の初めに100番台の成績から理系に進むことさえ難しいのに、理系で学年上位に肩を並べるほどにまで学力が伸びたのですから、これはもう素晴らしいの一語に尽きます。

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 彼の学力の伸びは、高校生としては大変なものですが、その変化をより分かり易く示す資料が下の高3の初めに行われたスタディサポートの資料です。入塾後、何とわずか2年ほどで、英語が4ランク(※彼は英語も習っていました)、数学が5ランクもアップしています。

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 彼の成長は高3になっても続き、下の第2回全統記述模試、そして同じく第2回ベネッセ・駿台記述模試では共に難関の理系数学において、学年4番の好成績を取るまでに成長しました。

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 そして、2015年春、彼は第1志望の富山大学薬学部に、無事、現役合格を果たしました。以下は、そんな彼の感想文です。是非、お読み下さい。

「数学は才能だから、あきらめるしかないと思ってた」
三重高6年制卒K君 富山大学薬学部合格

 僕は、高校1年生の時に青木塾に入塾しました。その頃は、得意な教科が1つもありませんでした。ですが、青木塾で勉強していくうちに、数学が段々得意になっていきました。それはやはり、学校では余り教えてくれない公式が成り立つ過程や、その公式が持つ意味など、数学の根底を丁寧に青木先生が教えて下さったからです。

 青木塾では、他の学年の授業も教室の後ろで聴講することが出来ます。そこで、それまで学んだことを徹底して繰り返し勉強したことも、数学の学力が大きく向上した理由の1つだと思います。また、こうした経験を重ねるうちに自分の勉強法といったものが確立し、そのことで他の教科も少しずつ得意になってきました。

 以前、僕は「数学は才能だ。だから、出来ないなら、あきらめるしかない」と思っていましたが、実際はそうではありませんでした。数学の才能は、青木塾のような熱心に教えて下さる先生がいる場所で鍛えられることによって身についていくものだと、痛切に感じました。

 あと、青木塾では朝から夜の12時まであいている自習室もよく活用しました。とても集中できる環境で、勉強がはかどりました。

 

 春から第1志望の大学に通うことが出来るのは、本当に青木塾のお陰です。3年間、本当に有り難うございました。

​三重高の中位から阪大工学部へ

 三重中3年の冬に青木塾に入塾したK君、入塾当初は、ごく普通の学力の持ち主でした。彼の初期の成績資料は余り手元に残っていないのですが、当時を忍ばせるものが1つ残っていました。それは高2の初めに行われたベネッセのスタディサポートの結果ですが、そこに前回の成績(学習到達ゾーン)も記載されていて、それを見るとB1の評価になっていますから、三重高では中位か、あるいはそれよりも下の成績であったことは間違いありません。とにかく、そんなところからのスタートだったのです。

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 この資料を見ると、入塾して1年間ほどの間の成績の伸びにはとても目を見張るものがあったことが分かります。更に、このスタディサポートから1ヶ月弱の時期に行われた実力テストでは、ごらんのように、数学Bにおいて初めて学年トップを獲得するに至りました。

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 更に、それから1ヶ月後の5月末に行われた全統高2模試では、とうとう模擬試験レベルでも学年トップを取るまでに急成長を遂げています。この模試における成績は、200点満点中180点、全国偏差値は実に76.4に達します。

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 下の資料は高2の10月に行われた駿台全国模試の成績ですが、難関模試として名高い当模試において全国偏差値69.1を獲得しており、その学力は、もはや折り紙付きのものであると言っても過言ではありません。勿論、校内順位もトップです。

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 そしていよいよ最後の資料です。これは本番のセンター試験での成績です。総合点が734点で、彼の第1志望の大学である阪大を目指すには、やや心許ない成績ではありますが、相変わらず数学では満点近い点数を取り、2次試験はセンターの失敗を得意の数学で挽回し、無事、大阪大学工学部に現役合格を果たしました。

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 以下は、彼の感想文です。是非、ご覧下さい。

「勉強するということを学んだ青木塾」
三重高6年制卒T君大阪大学工学部合格

 僕が青木塾に入ったのは、中学3年の冬の時でした。その頃は、まだ真面目に勉強に取り組んでおらず、数学の成績は学年の平均点くらいでした。

 僕が通っていた三重高校では、中高一貫教育として、公立の高校が一年生のときにする内容を中学3年生の時に習っていたため、最初から1つ上の学年のクラスに入り授業を受けました。そのため、授業の進む速さも速く、予習・復習をしないとついて行けないほどで、そうやって頑張っていたら数学の成績が伸び、定期テストで学年1位を取ることもできるようになりました。

 青木塾に通うようになり予習復習をするようになってから、数学だけでなく、他の教科も勉強する習慣がつきました。そのお陰で、全体でも成績が伸びるようになりました。

 高3になってからは、授業だけでなく自習室も利用するようにしていました。自習室は机が大きく自宅よりも勉強する環境が整っており、また周りに集中して勉強している人がいるので、とても集中できました。

 僕は青木塾で数学を習ったというだけでなく、勉強するということについて学びました。 どんな勉強をすればいいのか分からないという人に、僕は青木塾を薦めたいです。 

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