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  • 青木敏朗

教育は親の専管事項

最終更新: 2019年11月7日


 文科省による2017年度の調査によると、全国の小中学校に於ける不登校児童生徒の数は14万4031人に上り、小学生の184人に1人、中学生の30人に1人が不登校状態になっているという。現在、こういった不登校の子供達の増加に伴って、国内でも学校に頼らない教育のあり方が色々と試みられている。


 そういったの流れの中で、昨今では海外の教育事情が色々伝わるようになり、不登校を「対策を要する正常でない状態」と捉えるのではなく、学校教育と「非」学校教育を並列し、対等な観点から捉える教育観が徐々に広がりつつある。


 その中心に位置するのが、いわゆるホーム・スクーリングである。そのホーム・スクーリングについて、アメリカにおける現状の一部が一般社団法人「こたえのない学校」のホームページに紹介されている。


 同ホームページには、2012年のNational Center for Education Statisticsのデータが紹介されているが、それによると、アメリカの義務教育年齢にある子供達のうち、およそ30人に1人の子供がホーム・スクーリングによる教育を受けているという。


 ホーム・スクーリングを選択する理由は様々で、ホーム・スクーリングの方が合理的に考えてメリットが大きいとか、居住地域の学校が荒れていて公教育が有効に機能していないなど、色んな理由が挙げられているが、何より大切なのは、学校を相対化し、学校だけが唯一の教育機関ではないと考える視点があることである。


 長年に渡り中学生や高校生の教育に携わって来てつくづく感じさせられるのは、親にとって大切な我が子に教育を与える場として、果たして学校が最適な選択なのかという疑問である。


 荒れが酷くて真っ当な教育が行えない学校もあるし、大切な子供の教育を、果たしてこの人に任せて良いのかと思えるような十分な能力のない教師もいる。また、中には権威に服従する人間しか育てられないような権威主義的な学校もある。勿論、子供が通う学校でイジメを受けて心身共に疲弊してしまっている場合だって考えられる。


 実際、私自身、中学生時代、荒れの酷い自分の学校が嫌で仕方なく、出来れば行きたくないといつも考えていた。ただ、当時は不登校などという選択肢はなく、卒業まで我慢するしか他に方法がなかった。


 そもそも何のために子供を学校にやるのか。第1の理由は、社会に出て独立して生計を立てていくのに必要な知識を与えるためということが考えられる。ところが、今や知識を与える機能を持つ場所は学校だけに限られない。情報化が進んだ今、知識は世の中にあまねく普及し、知識を得る場所はいくらでも存在する。そういう意味では、学校教育に頼る必然性は大きく失われつつある。


 第2の理由は、社会性を育てる場としての学校の位置づけが考えられる。しかし、それが意図せぬ方向に変質し、イジメの温床となったり、安易な迎合主義に染まってしまう場になり得る可能性だってある。だとすれば、学校に社会性を養う機能があると信じるのは、ある意味で半ば幻想かも知れない。


 今では、同い年や異年齢の子供達が共に時間を過ごす場所は、それなりの規模の町なら様々なところに用意されている。その中から我が子に相応しい場所を選んだ方が、むしろ健全な社会性を養うことにつながると思う。少なくとも選択肢がないより、複数の選択肢の中から好ましいものを選べる方が、健全であることは確かだと思う。


 第3の理由として「帰属感」の問題がある。人間は何らしかの帰属感がないと、精神的に不安定な状態に陥りやすい。しかし、それとて人によって程度は様々だし、1人の方が良いという子供だっているだろう。そもそも家庭に十分な愛情があれば、子供が精神的に不安定な状態に追い込まれることはないと思う。


 結局のところ、子供が幸せな人生を送れるかどうかは親次第だと思う。大けがや命の危険にさらされないように安全を確保できるかどうか、毎日の食生活で安心安全な食べ物を用意できるかどうか、子供に十分な知的好奇心を与えられるかどうか、その能力を十分に伸ばせる環境を用意できるかどうか、心理的な安定感を家庭の中に用意できるかどうか、これらは全て親にしか用意できないものである。


 こういったプライマリーな条件に比べると、一見、学校というのは個人の手に余るように思えるかも知れないが、その学校でさえ、必要とあらば親が自ら作るというくらいの気概が必要だと思う。そういう意味で、ホーム・スクーリングは貴重な試みの1つであると思う。


 たとえ、最終的に学校という場を選択するにしても、大切な我が子の教育を無自覚に学校に任せることなく、一旦、学校を相対化して見ることによって、より良き教育を模索し続けていくことが大切だと思う。冒頭の言葉に戻るが、教育とは親の専管事項である。

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