.png)


楽観は許されない
記憶にある方も多いかと思いますが、2014年10月20日付けの夕刊三重に「松阪市学力テスト 深刻、下位の下位は危機」というタイトルで、その年の全国学力テストにおける松阪市の小中学生の学力が極めて低いレベルに留まったという記事が掲載されたことがあります。その後の同紙の続報で、状況はかなり改善されたと聞いていますが、私自身が日々の授業で感じている実感から申しますと、決して楽観は許されないと考えています。一体、それはなぜなのか。以下にその理由をお話したいと思います。
同じ市内の公立中学間に大きな学力格差が存在
下の表をご覧下さい。これは私が入手した市内の5つの公立中学のこの6月に行われた実力テストの結果です。返却された成績個票の書式が全て同じであることから、恐らく同一業者によるいわゆる業者テストの一つであると思われます。出題された問題も多分同じだと思いますが、それを前提に話を致しますと、同じ市内の公立中学でも学校間で随分と学力差があることに気づきます。英数国の3科目や英数国利社5科目の点差も気になりますが、現代社会で特に重要とされている数学について、上位校と下位校の点差が驚くほど開いています。その差は何と20点近くにのぼり、子供達の人生すら左右しかねない極端な学力差であると言っても過言ではありません。

高校生になると全国との差が更に開く
下の表は、この一学期に行われた第一回全統記述模試の結果ですが、皆さんはこれを見てどうお考えになられるでしょうか。私が特に問題視するのは、松阪市内の公立進学校のトップ校とされる某高校の極端な学力の低さです。上でも述べましたが、国家間の科学技術力の差がそのまま経済力や軍事力の差に直結する現代社会において、数学は今や多くの教科の中で最も大切な位置づけにあります。その大切な数学で、某校は理系も文系も全国平均の6割程度の点数しか獲得できていません。上でも述べましたが、これほど学力差があると、もはや人生を左右しかねません。では、なぜこんなにも学力差が生まれるのでしょうか。

「受験」とは「高校受験」のこと?
私はこの松阪で塾を始めて四十年以上になりますが、松阪には地方都市特有の「教育観」があるように感じます。端的に言えば、この地域で「受験」と言えば、それは「大学受験」ではなく「高校受験」のことを意味しているように思えるのです。高校受験が済めば、もうそこで勉強は完結してしまい、それ以上に勉強をやろうというモチベーションにつながらないのです。だから、せっかく地域トップの進学校に合格しても、多くの子供達は勉強よりもクラブ活動の方を優先してしまうのでしょう。
「文武両道」って言うけれど
また、学校側にも当然責任の一端があります。上記の某進学校は「文武両道」をモットーとしていますが、肝心の「文」が充実していないのに、そんな無責任なことを言って果たして良いのだろうかと思います。真の学びは、決して片手間に出来るようなものではありません。その厳しさを教えるのが教師の役目ではありませんか。「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。」いくら時代が変わっても、学びの本質は変わりません。

佐賀藩10代藩主・鍋島直正の教えに学べ
佐賀県佐賀市には佐賀城本丸歴史館という建物があります。そこには第十代藩主である名君・鍋島直正ゆかりの様々な歴史的品々が展示されています。直正は幕末の大激変期に財政難にあった藩を立て直し、他藩に先駆けて一貫して産業革命を推進し、後に明治維新の土台を築いた多くの人材を生み出しました。佐賀城本丸歴史観の建物には、次のような言葉を書いたパネルが展示されています。
厳しい時代にこそ、学問が重要である。激動の幕末、佐賀藩は先の世を見通して、教育に力を注ぎました。全ての藩士の子弟が学べること。寝食を共にし、切磋琢磨しながら共に成長すること。学生同士が活発に議論を交わし、時には藩主とも直接討論が出来ること。
佐賀藩の教育改革は、時代の変化に柔軟に対応できる多様な人材の育成でした。そして事実、国内随一の科学技術力を支えた藩士たちや、明治維新後の国作りに貢献した多くの偉人たちが弘道館から巣立っていったのです。教育は「人」への投資です。その価値と重要性は、現代でも色あせることはありません。
