教育について(社会)
高度技術社会における数学教育の重要性
雇用と教育の関係
中学・高校時代というのは、人生においてどんな意味を持つ時期なのでしょうか。それをどう捉えるかは、人によって必ずしも一様ではないかも知れませんが、大人になってから何を生業にして生きるか、つまり職業の選択において、中学や高校時代に毎日何をして過ごすかが、その後に大きく影響を与えるということは否定できないと思います。
現在、世界中の至る所でグローバル化が浸透しつつあり、今まで雇用を巡って一国内、あるいは特定の地域内だけで行われていた雇用を巡る競争が、今や国境を越えて行われようとしています。企業が海外に主力工場を移したり、カスタマーサービスなどが海外にアウトソーシングされるようなことも今では当たり前のように行われていますし、優秀な人材を求めて企業が外国人を雇い入れるケースも日毎に増えています。
こういった社会の変化を生みだし、それに一層拍車をかけているのが、コンピュータやインターネットに代表される情報技術の進歩です。コンピュータが私たちの日常生活の中に入り始めた1970年代半ばから、既に30年以上が経とうとしていますが、その間に行われた技術革新によって、2010年現在の最新型の民生用コンピュータに搭載されているCPUの処理能力は、最も初期の民生用コンピュータのそれに比べて数千倍にも向上し、その傾向は未だ止むことがありません。
高度に情報化が進んだ社会では、雇用は一般的に二分化する傾向が見られます。つまり専門的な仕事と非専門的な仕事です。専門的な仕事は報酬も高額であることが多く、専門性が高ければ高いほど、報酬も上がり景気変動による雇用情勢の影響を受けにくくなります。一方、非専門的な仕事は報酬が低いことが多く、景気の変動によって真っ先に雇用調整の対象にされかねません。つまり、仕事を失う可能性が高いと言えます。
私たち大人は、このような新たな社会の趨勢に、これからまさに立ち向かっていかねばならない若者たちに対して、どのように支援をしていけば良いのでしょうか。その鍵を握るのが教育であることは、恐らく誰も否定できないと思います。なぜなら、技術の加速度的な進歩や情報量の急速な拡大に対処し、次々と生じる問題に効果的に対応する能力を身につけることが出来る手立ては、教育以外には考えられないからです。
現代に必要とされている教育とは ― 問題解決能力としての論理的思考力
現代のように技術が高度化し、極度に情報化が進んだ社会においては、どのような教育が求められているのでしょう。複雑な問題を解決するのに必要な教育とは何なのでしょう。今から、それを考えてみたいと思います。
複雑な問題が同時多発的に起きる現代社会においては、膨大な情報の中から、時系列的、及び階層的、あるいは構造的な相互関係を見つけ、今後予想される展開を予測し、問題解決への戦略を組み立てる能力が極めて重要になってきますが、その中核に位置するものは何かと問えば、答えは論理的思考力であると言えます。
膨大な情報が集積され、その情報へのアクセスや検索が容易に行えるような現代においては、もはや単なる記憶に基づくような学力はほとんど意味を持たなくなって来ています。記憶は容量が実質的に無限大に達した外部記憶装置に任せておけば良いでしょうし、情報工学や脳科学の進歩と共に発達してきた脳と電子機器とをつなぐインターフェースは、今まさに脳による外部記憶装置への直接的なアクセスすら可能になりつつあるのですから。大切なのは、機械には出来ない(今のところですが)こと、つまり「考えること」なのです。
では、「考えること」、つまり論理的思考力は、一体、どうすれば身につくのでしょうか。その答えは数学の中にあります。数学こそ、複数の因子間の階層性や構造に目を向け、相互の論理的整合性に配慮しながら、提示された問題から解決への道筋を描くために最適な道具なのです。 >>>つづく
今、必要なこと
未曾有の危機にある日本 - それでも必ず解決策はある。
今、私たちの国・日本は未曾有の危機にあります。恐慌前夜とも言われる経済の低迷、政治の混迷とリーダーシップの欠如、不安定な雇用情勢、社会保障制度の脆弱化、世界情勢次第では飢餓にさえ繋がりかねないほど低い食料自給率、石油価格の極端な乱高下、国際市場における稀少資源の奪い合い等、日本が直面している問題の数の多さとその解決の難しさに、思わず絶望しそうになるほどです。しかしながら、絶望からは決して良き未来は生まれはしません。
私たち日本人は、これまでの歴史の中で幾多の国家的危機を経験しつつも、持ち前の勤勉さと努力によってそれらを克服して来ました。上記の諸問題の解決は、たとえ困難であったとしても決して不可能ではありません。危機の時代にあって最も大切なのは、未来に対する明確なビジョンと自らの問題解決能力に対する揺るぎない自信です。今こそ勇気を振り絞り、衆知を結集して難局の解決に向け全力を尽くすことが求められているのです。
Knowledge is power. 「知は力なり。」 - 人知の持つ可能性に限界はない。
どうぞ周囲を見回してみて下さい。私たちの周囲には、ジェット機やロケット、鉄道や自動車などの輸送機関、コンピューターや携帯電話などの情報機器、テレビやラジオ、洗濯機に冷蔵庫といった数多くの家電製品、火力や風力、原子力、水力といった様々な種類の発電所、地上3万4千キロに配置された通信衛星によって実現された衛星通信網、全国津々浦々まで張り巡らされた高速道路、海峡をまたぐような巨大な橋や高層建築など、人知によって生み出された様々な人工物が存在していますが、こういったものは全てほんの数世代前には、夢としか考えられなかったものばかりです。
このように、かつては夢や不可能であると見なされていたものが、今では当たり前のように私たちの周りに溢れています。今や火星に都市を造ったり、人工衛星の軌道に届くような宇宙エレベーターの建設さえ構想されています。実際、物理法則に反しない限り、私たち人間に不可能なことは何もないのです。いやその物理法則ですら、これまでの歴史がそうであったように、将来、書き直されて、現在の物理学で不可能とされていることが、いずれ可能になるかも知れないのです。
生き残る道はある。
日本の存続にとって、最も重大な問題はエネルギーと食糧の確保です。もし、それがストップしてしまえば、文字通り日本は滅亡してしまいます。一体、資源小国日本に生き残る道はあるのでしょうか。実はあるのです。
一見、資源小国に見える日本ですが、よく調べてみると日本には極めて大きな可能性が秘められています。例えば、問題をエネルギー問題を例に、現時点での技術的可能性を探ってみましょう。
1つ目は、京都大学を定年退官された元工学部教授の松本紘氏の「宇宙発電所」です。これは地球の軌道上に巨大な太陽電池パネルを設置して、電磁波の形で送電をしようというものですが、膨大な建設コストと安全性の問題が解決されれば、決して実現不可能な計画ではありません。
2つ目に海洋国日本だからこそ出来ることに波力発電や海流発電があります。日本の周辺には黒潮という巨大な海流が流れています。その持つ運動エネルギーは膨大なもので、もし、それを効率的に取り出す技術が開発されれば、国内のエネルギー自給率は大きく改善される可能性があります。
3つ目に阪大工学部や北大工学部で研究されている固体内核反応と言われる技術があります。これは1989年にポンズとライシュマンという2人の科学者によって常温核融合という名で発表されたものですが、当時、世界中の大学や研究機関で現象の再現可能性をはかる追試が行われ、満足な結果が出なかったためか、否定的な意見が大勢を占めるようになりました。しかし、アメリカ海軍の研究所では、その後も研究が続けられ、一部の情報では軍事レベルでは相当研究が進んでいると言われています。日本でも細々と研究が続けられてきましたが、阪大の荒田名誉教授の手によって、実用化へのメドが既に立っているとも言われています。
4つ目にロシアの石油探査技術の導入があります。ロシアではソ連時代にスターリンの命令で石油関連の膨大な研究が行われ、石油は西側で言われているような「化石燃料」ではなく、マグマの活動に付随する地質学的な現象に伴って生み出されるものだという理論が唱えられるようになりました。実際、その研究成果によって、ロシアは極めて地下深いところから石油を汲み上げる技術を完成させており、もし、この技術を日本に導入出来れば、国内での大規模な石油生産に道が開かれる可能性もあります。
5つ目に東シナ海のガス田開発があります。東シナ海には膨大な量の天然ガスが埋蔵されており、既に中国はその採掘を開始しているにも関わらず、現時点で日本は全く採掘を開始していません。中国との共同開発の話し合いも行われているようですが、様々な理由から、どうもうまくいっていないようです。
6つ目に、海藻を利用したバイオエタノールの生産があります。琉球大学工学部の瀬名波出准教授を中心にとする「沖縄海洋バイオマス研究コンソーシアム」が近く立ち上がる予定で、火力発電所や工場から出る高濃度の二酸化炭素を海水に溶かして海藻を養殖し、バイオ燃料に転換する技術開発が、既に実証実験の段階に入ろうとしています。
このようにざっと数え上げただけでも、エネルギー問題を解決する手段はいくつもありそうです。また、食糧問題についても、農村における過疎の問題と都市部の若年者の雇用問題をうまくリンクするだけでも、後継者不足や耕作放棄地の解消が同時に出来、自給率の改善に大きく役立つと考えられます。更に、上述のようにエネルギーの安価な自給が可能になれば、膨大な海洋資源を利用した食糧の大増産も決して不可能ではないと思います。
教育こそが全ての問題解決の鍵
こういった諸問題解決の鍵となるものは一体何かと問えば、勿論、それは教育です。優れた技術を持ち、戦略的で高度な思考能力を備えた人材をいかに沢山育てることが出来るか否か、それこそが我が国が生き残れるか否かを決める決定的な要因になるであろうと思われます。
翻って日本の教育の現状を見ると、一部には将来を見据え、優れた教育システムを考案し、実践しているところもありますが、残念ながら、大半の教育機関、特に公教育については、その多くが極めて劣悪な状態に置かれてると判断せざるを得ません。
小学校から大学まで、平均的な日本の教育水準は、かつての日本の教育を知る者にとっては信じられないほど低い水準に留まり、学校などの教育現場には最低限の読解力さえ持ち合わせない子供達が溢れています。
問題は国語力だけに留まらず、今や国立大学の工学部ですら、十分な数学力を持ち合わせた学生は数える程でしかありません。こういった現状を早急に改め、日本の教育を再生しない限り、その潜在的可能性はいずれ失われ、それと同時に日本の未来もまた失われるかも知れません。
個人として出来ること
では、私たち個人のレベルで一体何が出来るのでしょうか。日常生活の中で、本や絵画、良質な音楽に親しむなど、家庭の文化的環境に配慮することも大切なことだと思います。読書の習慣一つとっても、その有無が子供たちの言語能力や知的好奇心の発達に与える影響は決して小さくありません。
また、学校などの教育機関についても、単に地域の学校だから、そこに子供を任せると言うのではなく、少しでも優れた教育環境を手に入れるために、積極的に関与する姿勢が大切だと思います。
例えば、子供をある学校に入れる場合、学校の教育方針や教鞭を執っている指導陣の指導能力、更には学内の雰囲気や、そこで学ぶ子供達の覇気の有無など、出来るだけ広範囲に渡る情報を集め、たとえベストが無理でも、ベターな教育条件をなるべく整えられたらと思います。塾のような私的教育機関についても、その指導方針やレベルは実に様々ですから、実際に足を運んで確かめることが大切ではないでしょうか。
子供達自身には自分が育つ場を作ったり、教育条件を自ら整えることは出来ません。そういった意味で、子供達は自分自身の成長について、極めて受動的な立場にあると言えます。周囲の条件、つまり教育機関の選択や先生や共に学ぶ仲間達との出会いが、子供達の人生を左右すると言っても決して過言ではありません。それを偶然に任せるか、それともそこに人為を働かせるか、その違いは大きいと思います。



