教育について(学校)
広がる中学と高校のギャップ
一昔前には、松阪のような地方都市でさえ、「進学校」と呼ばれる高校に進学するには、中3の受験生時代に1日4~5時間の受験勉強をするのが当然とされた時代がありました。そんな時代でさえ、中学と高校の学習内容のギャップは余りに大きく、高校入学後の勉強に慣れるために相当な努力が必要とされたものです。 ところが、現在の高校受験は、当時の状況とは全く異なります。一応、「進学校」とされる高校に進学するにも、今の高校受験生は、中学時代に2時間程度の勉強しかしていないケースがほとんどと言って良いのが現状です。
長時間の学習に慣れていない上に、高校に入学するのに、十分な基礎力を培ってこなかったものだから、現在の「進学校」の高校生の大半が、入学後、最初の学期で高校の勉強について行けなくて挫折してしまいます。いくら「ゆとり教育」の時代だとは言っても、高校で学ぶ学習内容は、それ程、レベル的に変わってしまっているわけではありません。ですから、当然の結果として挫折者が増える羽目になります。
「15の春は泣かせない」という趣旨から始まった現在の高校入試は、平易化の流れによって、確かに受験の負担は減りましたが、その一方で高校入学後の挫折者の数を増やし、結果として彼らの未来を取り上げてしまうことになってしまっているのだとしたら、それは本末転倒ではないでしょうか。
教育というものには、元来、何らかの目的があるはずです。その一番の目的はと言えば、若者達が大人になった時に、ちゃんと生計を立てることが出来、社会における責任を果たせるように育てあげることではないでしょうか。そのために、若者達に何らかの試練が必要ならば、それは決して不当なことではない思います。
一部の私学のようにReadinessを無視し、慌てて難しいことを教え込むのも問題ですが、現在の公立中学のように義務教育段階で十分な学習がなされていないのも同様に困った問題だと思います。何事もちょうど良いことが大切だと思いますが、どうでしょう。
私立中学進学の前に
公立中学のカリキュラム削減に対する不安から、6年制私立中学で子供を学ばせたいと考える保護者の方も多いですが、その進学に際しては、各中学校の特徴や我が子の適性を十分に考慮し、出来るだけ慎重に判断すべきだと思います。ともかく私立中学へといった形での進学は、子供達の可能性をつみ取ることになりこそすれ、決して良い結果につながらないということを、是非、知っておいて欲しいと思います。
どんなタイプの子供が私立中学で伸びるのかと言いますと、一口で言えば、暗記力に優れ、物事に要領良く対応出来るタイプであるか、あるいは、周囲の状況に左右されず、マイペースできちっと勉強するタイプの子供達であると言えます。ところが、現実の子供達は実に様々で、必ずしも上記のようなタイプの子供達ばかりではありません。
高い知的能力を備えてはいるが、どちらかというと要領が悪い子供達や、繊細で傷つきやすい心を持った子供達も少なくありません。そういった子供達の教育には、特段の配慮が必要で、そこを考慮せずに余りに急がせて高度なことを教え込もうとすると、能力があるにもかかわらず、理解が浅いままになって先で伸びなくなったり、あるいは、自分に対する自信を失わせてしまい、伸びようとする意欲さえ取り上げてしまうことになりかねません。
私立中学の入試に失敗し、公立中学への進学を余儀なくされながら、余り急がされずにじっくり教育を受けられたことが逆に幸いし、中学から高校になって大きく能力を伸ばし、結果的に私立中学に進学したかつてのライバル達さえ合格できなかったような難関大学に合格するケースも決して珍しいことではありません。こういった事実が語っていることは、要するに子供達の教育は画一的な物差しによっては行えないということなのだと思います。特に、十代の前半から後半に掛けての変化の著しい年代ならば、尚更のことでしょう。
知的教育を成功させるには、子供達の精神的な発達の度合いや個々の性格、その時点で獲得している言語能力のレベルなど、様々な要素を考慮しなければなりません。また、子供達の能力の判定についても早急な判断は禁物です。なぜならば、いわゆる能力と言われるものは、その時点で測れる「見える能力」でしかなく、潜在的な能力は当然見えないし、能力そのものも変動するものだからです。
結局のところ、教育の本質とは、個々の子供達の個性に配慮し、その潜在的能力を潰さないように、じっくり付き合っていくことに尽きるのだと思います。教育に促成栽培は禁物です。
大学進学の受験勉強は高1から始まる
推薦入試や内申書重視など高校受験の平易化に伴って、今の高校受験生は、昔ほど長時間勉強する習慣がなくなっていることは既に述べましたが、そのためか、大学入試でさえ高校入試と同様に考えている高校生が珍しくありません。今では 進学校に通う多くの高校生達が、「受験は高3になってから始めれば良い」と考えているのが普通になっているように感じます。
高校に入学した生徒たちが入学して真っ先に感じるのは高校の教科の難しさです。実際、その難しさは中学のレベルを遥かに超えています。難しさが違うのであれば、当然のことながら勉強時間も増えなければならないし、勉強の方法そのものも変化しなければならないと思うのですが、残念なことに、ほとんどの高校生の勉強法は中学時代と比べて余り変化していないようなのです。
こんな現状が進学校に通う高校生の常識になってしまっているのだとしたら、これは非常に深刻な問題です。中学までの勉強は、言ってみれば昔の「読み書きそろばん」で、社会人となるための最低限の知識を身につける為の勉強です。ところが進学校での勉強は、高度に発達した現代社会において、一国の経済的競争力や技術開発力を維持していくのに必要な人材を育てる為の基礎教育としての位置づけにあります。 もし、日本中の若者達が現在のような勉強でよしとしてしまったら、遠からず日本の衰退は避けられないことになるでしょう。
少なくとも大学に進みたいと思うのであれば、大学に入って授業について行けるだけの最低限の知識だけは、是非高校時代に身につけておいて欲しいものです。そしてその「最低限」の意味する水準は、一般の高校生が考えているより遥かに高いのだということを忘れてはなりません。
今や大学を選ばなければ、大学全入が可能な時代であるそうですが、だからといって、どこの大学でも良いと言うのでは、一体、進学することに何の意味があるのでしょう。何らかの分野の専門家になりたいと思うのならば、当然、高校生時代から相当なレベルの勉強を積み重ねておく必要があります。それだけの覚悟がなくて、「わたしは○○になりたい」などど安易に口に出してはいけないと思いますが、どうでしょう。
「高度な専門知識を学ぶ」という本来の意味で大学に進学をと考えているのであれば、受験勉強は高1から始まると言えます。特に難関校に入りたいと考えているなら、とても高3になってからの受験勉強では間に合わないでしょう。きちっと高1から勉強してある大学に合格できる実力が身に付くとするならば、高3になってからの受験勉強では、2ランクも3ランクも志望大学のランクを下げなければならないことになるのは当然のことです。それでも良いと考えているなら、何も高い授業料を払いながら、大学四年間を過ごす必要などないではありませんか。 大学教育を受けるということは、決して甘いことではないのです。



