高校生へのメッセージ

高校生へのメッセージ

私達はどんな時代に生きているのか

現状は大変だが、明るい時代は必ずやってくる  

 世間を見回すと、学校を出ても就職出来なかったり、大きな会社に勤めていても、ある日、突然、その会社が潰れたり、あるいはリストラで職を失ったりするなど、先の見えない不安が満ちているように見えます。また、新聞の国際欄に目を向けると、テロや戦争のような暗いニュースが後を絶ちません。一体、これから私達にはどんな未来が待ち受けているのでしょうか。

 一見すると、確かに未来には暗雲がたちこめているように思われます。しかし、冷静になって過去の歴史を紐解くと、例えば、祖父母が子供の頃に生きてきた時代は、今から考えると、想像も出来ないような大きな悲劇や絶望に満ちていたことに気づかされます。当時は、親や兄弟姉妹、あるいは親しい友人知人が突然、命を奪われたり、住み慣れた家や生まれ育った街が雨あられのように降り注ぐ爆弾で跡形もなく焼き払われたり、およそ言葉では表現できないような大きな悲劇の連続が「日常」だったのです。それでも祖父母達やその親たちは廃墟の中から立ち上がり、街を復興させ、平穏な生活を取り戻してきました。

  このように私達人間には、半ば本能のように、どんな悲劇や絶望の中にいても、未来に希望を見出し、新たな文明や社会を生み出す力が備わっているのです。いずれ、今のような不安に満ちた時代も終わりを告げる時が来るでしょう。そして、新たな時代の幕が切って落とされる時が必ずやって来るのです。

 新たにやって来る時代は、どんな時代なのか

 学校で習ったことがあると思いますが、文明が変貌する原動力となって来たのは、いつの時代も新しい技術の誕生でした。 土器、青銅器、鉄器、...、蒸気機関、内燃機関、自動車、飛行機、原子力、コンピュータ等々、これらの技術が文明を変貌させ、新しい時代の姿を形作って来ました。未来についても、全く同じことが言えます。しかも、これからやって来る新たな時代は、今までのどの時代の変化と比較しても比較出来ないほど、私達の生活に劇的な変化をもたらす可能性があるのです。

  2002年の6月、アメリカ商務省とNSF(全米科学者財団)が共同してあるレポートを発表しました。そのタイトルはConverging Technologies for Improving Human Performanceといい、中身を簡単に述べると、今後20年の間に、遺伝子工学、ナノテクノロジー、情報工学、認知科学など、現在、急激な勢いで発展している技術を融合させることによって、個々の人間の能力を劇的に高め、個人も社会も極めて大きな恩恵を受けることが出来るようになるであろうというものです。具体的には、遺伝子を操作して人間の寿命を延ばしたり、工学技術や医療技術を利用して知的および肉体的な様々な能力を強化を図ったりするなど、人間の進化すら人為的に起こし得ることを意味しています。

  この報告書とは別に、アメリカのテクノロジー界の最高の栄誉であるNational Medal of Technologyを受賞した発明家のレイ・カーツワイルは、人間の能力を超えるロボットの誕生や、人間とロボットの融合、更には不死のテクノロジーの実現すら予想しています。また、アメリカのNASAでは、現在、火星への有人飛行を目指して懸命に研究が続けられており、早ければ今後20年程でそれが実現するかも知れません。いずれ人類は火星に都市を建設し、そこへ移り住むことになる可能性もあるのです。(The Mars SocietyのHome Pageに計画の詳細が紹介されています。)

 アメリカの宇宙計画に大きな影響を与えたコーネル大学の惑星科学の権威・故カール・セーガン博士は、地球は生命の源であり、いずれ人類は広大な銀河に進出し、その文明は銀河全体へと広がっていくであろうと語っていましたが、今世紀は、まさに人類が複数の星系に広がっていく種となる最初の一歩が踏み出される世紀となりそうです。

  恒久の平和、貧困からの解放、病気や死の恐怖からの自由等々は、これまでの人類にとっては単なる想像の域を出ない理想に過ぎませんでしたが、現在、我々が手に入れつつあるテクノロジーは、その実現すら可能とするかもしれないのです。

  あなた方若者にとって何よりも大切なのは、未来に対して夢を持つことです。どれほど実現の可能性がないように思える夢でも、それを心に抱き続け、努力を怠ることがなければ、いずれそれは現実のものとなることでしょう。過去の歴史がそれを証明しています。自動車も飛行機もロケットもコンピュータも、かつては夢見る若者たちのたわいもない夢の一つに過ぎなかったのですから...。

なぜ学ぶのか

 この問いに一律に答えることは決して簡単なことではありません。その人の置かれた境遇や人生観、資質等によって様々に異なる答えが必要になってくるでしょう。しかし、多くの人に共通の最も基本的な答を敢えてあげるとするならば、それは「個人として自立するため」と言って良いのではないでしょうか。

  私達は、この世に産み落とされてから大人になるまで、ずっと親や周囲の大人の保護の下で大きくなっていきます。特別な事情がない限り、自分で食べるものや、自分が住む場所を自分で用意する必要は全くないのです。(これも全ての国でそうだというわけではありません。日本のような一部の先進国に限定された話に過ぎないのです。)生存のために必要な基本的物資は、全て自分以外の人の手で用意されているのです。

  多くの若者にとっては、今のこの状況が余りにも日常化しているため、自分の存在が他人の手によって支えられているなんて、意識の隅にものぼらないかも知れません。しかし、それは厳然たる事実なのです。ただ、それにもいつか終わりがやって来ます。遅かれ早かれ、いずれは自分自身の手で自分の生活を支えなければなら時が必ずやって来るのです。

  大人になってから、どんな仕事に就き、どんな人生を送ることになるかは、基本的に若い頃に何をやってきたかによって決定されます。全く何の努力もせずに大人になってしまえば、その人生の選択の幅は非常に限られたものになるでしょう。もし、主体的に自分の人生を選びたいと思うのならば、それが可能となるような準備をしなければならないのです。それが、人が学ぶ最も第一義的な理由と言えるのではないでしょうか。

  「アリとキリギリス」の話は、おそらく誰もが知っていることでしょう。アリは夏の暑いさなかも、一生懸命、額に汗して働いていました。一方、キリギリスは、そんなアリの働きぶりに目もくれることなく、ただただ面白おかしく遊んでばかりの日々を送っていました。やがて厳しい冬がやって来ました。アリは炎天下での厳しい労働のお陰で、寒い冬がやって来ても、何の心配もなく暖かい家の中で快適に暮らすことが出来ましたが、キリギリスは寒さに震えながら、満足に食べるものさえ手に入れることが出来ませんでした。

  この話は、小さい子供向けに書かれた童話ですが、その中身は人生の真理をズバリ突いていると思います。人生は、人から与えられるものではありません。人生とは、自分自身の手で作ってゆくものなのです。若い皆さんには、是非、そのことに気づき、悔いのない人生を送って欲しいと思います。派手さや、一時的な満足を追い求めることなく、たとえ地味に見えようとも、たとえ人から「ダサイ」などと揶揄されようとも、こつこつと一歩一歩積み重ねてゆく人生を生きていって欲しいと願っています。 

  勉強は、決して点数のためにやったり、人に誉められるためにやるものではありません。勉強とは、自分自身の人生を自分の手で切り開いていく、その助けとするためにやるものなのです。そのことを決して忘れないでください。

人生は努力の結果

   これが意味することは極めて明白です。要するに、今、学校に通っている中学生や高校生の皆さんも、学生時代に余程まじめに勉強して実力を身につけておかないと、将来、社会に出てから定職に就けないかも知れないということです。定職に就けなければ、勿論、独り立ちは出来ません。独り立ちが出来なければ、結婚して自分の家庭を持つことすら出来ないでしょう。

  人生は努力の結果であると言います。努力なくして、人生のチャンスを掴むことは出来ません。厳しい現実の嵐にさらされるのは、決して遠い未来の話ではありません。目にはハッキリ見えなくとも、既にそれは始まっているのです。今、頑張らなくて、一体、いつ頑張るのでしょう。未来に備えて、一生懸命努力するか否か、それは今のあなたの考え方次第です。どうぞ、将来、悔いることのないよう、まじめに自分の人生を考えてみて下さい。あなたの人生には、大きなチャンスが待っているかも知れないのだから。

苦しさを乗り越えて、初めて学ぶことの真の面白さが分かってくる

  勉強が嫌いだという人は多いですが、勉強が好きだという人には、なかなか出会うことが出来ません。特に理数系の科目の嫌いな人の割合の大きさと言ったら、今の日本は先進国の中でも抜きん出ています。他のことで抜きん出るのは結構なことですが、こんなことで抜きん出るのは余り有り難いことではありません。一体、どうしてこんなに勉強嫌いや理数系科目の嫌いな人が多いのでしょうか。

  表面的には、確かに勉強は大変なことばかりです。机に向かって勉強するより、テレビを見ている方が楽しいのは当たり前でしょう。何かの単元を身につけるのに、同じことを繰り返すのは本当に骨が折れるものです。でも、我慢や骨が折れる努力をしなければならないのは、別に勉強だけに限られたことじゃありません。スポーツだって、一流になるには我慢しなきゃいけないことはいっぱいあるだろうし、骨の折れる努力を沢山しなければなりません。では、どうしてアスリート達は一生懸命辛いトレーニングに耐えているのでしょうか。それは、彼らが勝利の美酒のうまさを知っているからです。

  スポーツの場合の美酒とは一体何でしょう。それは人々の賞賛かも知れないし、自分の限界を超えた時に感じる誇りや達成感かも知れません。では、勉強の場合はどうでしょうか。スポーツと同様に、人々の賞賛や誇り、あるいは達成感というものも当然あるでしょうが、そこにはまた別の美酒が用意されているのです。それは世界の広がりの実感です。

  学ぶことによって、私たちは自分の住む現実の世界や、自分の心の中に存在する内的な世界の広がりを感じることが出来るのです。よく、世界はそれぞれの人の持っている「窓」の大きさによって、それぞれ見え方が異なると言いますが、学ぶことによって、まさにその「窓」の大きさが大きくなるのです。それを感じた時の喜びの大きさは、スポーツの勝者が金メダルを手に入れた時の喜びに決して引けをとりません。

  数千年に渡る人間の歴史の中で、多くの天才達が、それこそ命をかけて真理を探求し続けて来ました。その結果、私たちはこの社会や自然、天空に広がる無限の宇宙について、実に多くのことを知るようになり、今や生命や宇宙の誕生に関わる秘密さえ明らかになりつつあります。そんな時代に生まれ合わせたことの幸せさや喜びを、私たちはもっと感じても良いのではないでしょうか。苦しさを越えて初めて分かる面白さが、それも特大の面白さが学びには用意されているのです。是非、その喜びをあなたにも味わって欲しい、そう思わずにはいられません。

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