教育雑感

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「教育雑感」開始に寄せて

toshio_bw_small.jpg 青木塾が誕生して既に30有余年。開塾当時、中学生や高校生だったかつての塾生たちも、今ではすっかり大人となり、社会の様々な場所で、それぞれが立派な社会人の1員として活躍してくれています。嬉しいことに、当時の教え子自身の子供たちが、今や中学生や高校生の年代となり、2世代目の教え子として戻ってきてくれる例も決して少なくありません。教師冥利につきるとは、まさにこのことで、思わず瞼が熱くなってくるほどです。

 しかし、手放しで喜んでばかりもいられません。というのは、昨今の社会情勢は、かつてないほど厳しく、若者達はたとえ高校や大学を卒業しても、なかなか経済的に自立できず、悶々とした思いを感じながら、苦しい毎日を送らざるを得ないことも珍しくないからです。                        



 この苦境を如何にすれば打開できるのでしょうか。かつて明治の新時代を拓いた幕末の志士たちは、広く世界に新たな知識や技術を求め、それらを貪欲に学び取り入れることで、時代の閉塞状況を打ち破り、日本の近代化という大事業を成し遂げました。問題解決の鍵は新たな知識や技術の習得にあるというその方法論は、今もなお色あせることはありません。いやそれこそが停滞や限界を打ち破る唯一の方法なのだと思います。

 一方で、日本の教育の現状に目を向けると、かつては諸外国の手本にされたほど優れた公教育も今や著しく劣化し、高度な知性を生み出すどころか、読み書きそろばんといった日常生活に必要なレベルの知識すら十分に子供たちに与えることが出来なくなってしまっています。

 教育の復興なくして、国民の幸せや社会・国家の健全な成長・発展はあり得ません。今こそ、日本の教育のあり方を見つめ直し、その堅固な基盤を再構築することが必要とされています。



 このたび青木塾では、「教育雑感」という新たなコーナーを設けることになりました。その趣旨は、教育に新たな視点を与え、皆さんと共に日本を再興する手立てを考えることにあります。このささやかな試みが、大きな変化のきっかけになれば、これに勝る喜びはありません。

     青木塾塾長  青木敏朗

(2011年12月11日)

子供達の未来は大丈夫だろうか

 ある調査によると、20代から30代の未婚女性に、将来の伴侶の希望年収を尋ねたところ、最も割合が高かったのは年収600万円であったそうです。ところが、それだけの年収を稼ぐ男性の割合は、20代から30代の男性のわずか4%に過ぎないといいます。また、別の調査では、20代から30代の死亡原因のトップは自殺であるという結果が出されています。

 この年代は、かつて様々な論者の間で物議を醸した、いわゆる「ゆとり世代」の属する若者達にあたりますが、当時、新たな学力観という触れ込みで日本の教育界に取り入れられた考え方が、結果的に、「勉強なんて、一生懸命しなくていいんだ」といった安易の方向に子供達を押しやってしまい、自立することすら叶わなず、追い詰められた若者たちを大量に生み出してしまったのです。

 この失敗を反省してのことなのかどうか、現在、ゆとり教育時代のカリキュラムは大きく変



更され、指導内容も大幅に増え、教科書もどんどん厚くなっていく傾向にあります。しかし、問題は教科書の厚さでないことだけは確かです。若い世代から一度失われてしまった「学びの気風」を取り戻すことは、決して容易なことではありません。
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 私の住む松阪には、市の中心部と郡部を合わせて全部で12の公立中学校がありますが、様々な意味で問題を抱える学校も1つや2つではありません。中には正常な授業すら出来ず、学校としての機能を喪失してしまっている学校もあります。また、「伝統的」と言って良いほど、何十年にも渡って問題を抱え続けている学校もあります。このような状況を市当局が知らぬはずはないと思うのですが、一向に抜本的な改革



が進まないところを見ると、半ば慣れっこになっているのかも知れません。しかし、大切な我が子を預ける側の保護者にとっては、公教育の質の向上は正に死活的な問題です。

 昨今の厳しい経済状況の中では、教育の全てを公教育に頼らざるを得ない世帯も沢山あります。ならば一層、公教育が子供たちの未来に対して負うべき責任は大きいとも言えます。もし、行政が優れた教育を市民に提供することが出来れば、子供たちが大人となり社会に出て働くようになったとき、彼らの生活を豊かで安定したものとし、ひいては市政の安定に大きく貢献することにつながるでしょう。

 教育は1個人や1家庭の繁栄だけでなく、社会や国家の繁栄に直結しているのだということを、改めて認識し直す必要があるのではないでしょうか。

セキュリティ問題と数理教育

 インターネットの商用サービスが始まった1990年代以来、インターネットは爆発的な勢いで発展し、今ではインターネットなしの日常生活など考えられないほど、生活に密着したものとなっています。そのインターネットを舞台に、2010年、世界を驚かせる事件が起こりました。情報技術関係の事柄に詳しい方なら、既にご存じと思いますが、その事件とはStuxnetと呼ばれるマルウェア、つまり一種のコンピュータ・ウィルスが登場したことです。

AH045_L.jpg コンピュータ・ウィルスについては、既に様々なところでその弊害について語られてきましたが、なぜこのStuxnetがそれほど大きな話題になったかというと、それには複数の理由があります。中でも、最も問題とされているのは、その攻撃対象と物理的な破壊力を備えている点です。



 Stuxnetは電力会社の発電や送電に拘わる制御システムを攻撃の対象とし、制御システムを乗っ取ることによって機械の動作を不安定化し、機械そのものすら破壊する力があると言われています。悪用すれば、原発の暴走を引き起こすことも不可能ではないとされ、もし国家間の紛争の際にそれが使われれば、ミサイルや爆弾に匹敵する被害を敵国に与えることも可能とされています。

 Stuxnetが問題とされているのは、それだけではありません。Stuxnetは極めて高度な技術的洗練度を備えたマルウェアで、従来のようにハッカーが単独で愉快犯的に作れるような代物ではなく、高度な技術を持った国家レベルの組織が特定の目的を持って開発されたものではないかと疑われている点です。既にサイバー戦争は現実のものになっているのかも知れません。

 また、2011年9月には、我が国の新聞各紙で日本の政府系サイトや防衛関係機関のサイトが相次いで攻撃を受けたというニュースが流れましたが、今後、このような攻撃は様々な企業



を対象に続発することも予想されます。企業の経営者にとって、インターネットは経営上、極めて有用性の高いツールですが、その経営を守るためにもセキュリティ管理が一層大切になってくることは間違いありません。

 ネット上の事件に限らず、うち続く自然災害や事故・事件を見ると、私たちの住む世界は、もやは以前のように平穏に生きられるような世界ではなくなってしまっているのかも知れません。あらゆる事故や災害などの不測の事態を想定し、何かあった際に的確に行動して更なる被害の拡大を防ぎ、早期の復旧を可能にする態勢の構築が何にも増して急がれています。そのためには、高度な数理的専門知識を備えた人材の養成が不可欠です。国民の数理的リテラシーを高めることが、今、日本の教育界に一層強く求められています。